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蓑首城(みのくびじょう)

 元亀3年(1572)坂元参河が伊達政宗の命を受け、主君亘理重宗に訴え蓑首山に城を築きました。伊達氏にとっても相馬氏(現在の福島県相馬市・新地町付近を治めた)を攻める上での前線基地とも言える場所でした。当坂元神社はこの城の守護神、守り神として本丸に勧請されました。

元和2年(1616)からは大條宗綱を始めとし、明治維新まで10代に亘り約250年間この地を治めました。明治3年(1870)に焼失してしまいましたが、神社は城跡に残る形となり地域の氏神様として現在に至っています。

大條家(おおえだけ)

 大條家の歴史は、『伊達世臣家譜』によると伊達家8代宗遠の三男である宗行が、室町時代中期である応永22年(1415)に伊達郡大枝(現在の福島県伊達市国見・梁川付近)を領地とし、「大枝孫三郎宗行」と称したことに始まったとされています。その後に「大枝」から「大條」と名乗るようになりました。

大條家は、仙台藩伊達家の家臣の御一家として歴代8名の仙台藩の奉行職を輩出しています。明治維新後、17代大條孫三郎道徳の時代に「大條」姓から「伊達」姓に改称し現在に至ってます。

(『山元町歴史民俗資料館』発行資料より)

社紋

おもだか

おもだかの説明

三つ引き

伊達家の先祖に当たる伊達朝宗が、源頼朝より下賜されたと言われる家紋です。一般的に、伊達政宗の家紋と言えば「竹に雀」が非常に有名ですが、一番長く使われている家紋はこの「三つ引き両紋」。伊達家の1世である伊達朝宗が、藤原討伐の褒賞として源頼朝から下賜された家紋です。引き両は「引き」とも呼び、横に惹かれた太い直線を一本から三本描いたものです。発祥についてははっきりしたことがわかっておらず、「龍の姿を表したもの」や「霊を表したもの」など諸説あります。太い線の引き両紋は力強さを表現し、武家の間で好まれていました。戦場の場で旗印として使用したのが始まりで、やがて家紋として定着します。使用地域は関東かた東北地方で多く見られますが、有名なのは足利一族の「丸に二つ引き」や、新田氏の「新田一つ引き」です。直線は横に配置したものが一般的ですが、中には縦に配置したものもあり、丸に竪三つ引きや、丸に竪二つ引きなどがあります。また、互い違いに描いた喰い違い七引もあります。