主祭神

(あめの)御中主(みなかぬしの)(かみ)

御由緒

神社の創建は、古く安土桃山時代に遡ります。正親町(おおぎまち)天皇天正2年(1574)この地を護る蓑首城(みのくびじょう)(又は坂元城)の中に、城の守護神として祀ったのが創まりです。当時の蓑首城主である坂元()(かわ)が本丸に勧請し、元は「妙見宮(みょうけんぐう)」と称していました。参河が遠田郡南郷町(現在の宮城県美里町)に移封された後、後藤・黒木・津田・大條(おおえだ)氏と替わりましたが、皆鎮守神として厚く崇め祀ったといわれています。

明治時代に入り「北辰神社(ほくしんじんじゃ)」と改称、明治40年代には村社神明社外八社を合祀し「坂元神社」と改称、村社に列せられ昭和8年(1933)12月に供進社に指定されました。

大條家の歴史は、「伊達世臣家譜」によると、伊達家8代宗遠の3男である宗行が室町時代中期、応永22年(1415)に
伊達郡大條(現在の福島県伊達市国見・梁川付近)を領地とし、大枝孫三郎宗行と称したことに始まったとされています。大條家は、仙台藩伊達家の家臣の「御一家」として、歴代8名の仙台藩の奉行職を輩出しました。明治維新後、第17代大條孫三郎道徳の時代に「大條姓」から「伊達姓」に改称しました。

境内地は明治44年、伊達氏に願って土地の寄進を受け、大正2年に桜樹100本の奉納があり、春は花、夏は翠に風色頗る良き神域となりました。平成18年より古木を植替え、三春の滝桜(伊達家の愛姫(まごひめ)に因む)等、約50本の桜樹が最も早く春を告げるところといわれています。

                                  (「山元町歴史民俗資料館」発行資料より)